reactance’s diary

音楽、DTM、電子工作を中心に自分の趣味のメモ帳として

子どもか大人か道半ば

2019/3/17 日記

昨日songsという番組を見ていました。

出演していたのはSEKAI NO OWARI大泉洋

内容としては、大人になったセカオワが今までの自分たちの曲だったり

考え方を振り返ったり、今、大人になった自分たちの考え伝える内容になっていた。

番組を見ていて、セカオワが考える大人像が自分には全く理解できなかった。

そもそも人種が違うんだろうなぁ

そんな感想しか出てこない。

 

今日田舎のイオンに行ったらゲームセンターが目に入ってきて、

そこでコインゲームをやっているおじさん、おばさん。

彼らが今までどういう生活水準で過ごしてきたか、統計をとってみたい。

決してコインゲームをしていることをバカにしているわけではない。

僕も未だに遊戯王をやる。だから、行動についてとやかくいうつもりは毛頭ない。

ただ、コインゲームをしている姿勢、服装、雰囲気がかっこいいと思えなかった。

(同じ理由でカードショップにいるオタクがあまり好きではありません。僕もその一人ですが笑)

彼らは大人なのだろうか。

 

電車に乗ると股を開いて座る人。

コンビニでイヤホンしながらレジで会計する人。

大勢で道を塞ぐように歩いている人々。

タバコ・ゴミをポイ捨てする人。

信号無視・交通ルールをまもらない人。

公衆の場で大声ではしゃぐ人。

叱る時に怒鳴る人。

人の意見は聞かず、自分の話ばかりする人。

 

僕が見える範囲の世界にいる彼らは、大人なのだろうか。

僕の見えない世界では大人であるのかもしれないが。

 

誰かを批判しているわけだはなく、ただ考えが違う。

特にセカオワに関しては、自分たちが作る音楽が若者に与える影響をしっかりと考えて曲作りをしていることが分かり、かなり好感が持てた。

 

やっぱり、僕は未だに”大人”がわからない

 

今までたくさんの人に 世話になったりしたし

それは今も変わらず 子供のまんまで

トマトが好きなことも 懐かしい友との関係も

相変わらず字が下手なことも 子供のまんまで

でも 少しずつだけど 誰かの役に立てたり

自分の意見も言えるようになって 

悩んだ日々の分だけ人の気持ちもわかるようになって

大人になったんだ

 

将来の夢は僕を育てた大人のようになることです

 僕が成人した時に作った曲の一部。

まだ大人になっていないことは重々承知だけど一歩一歩”大人”という概念に近づいてることが書きたかった。

あれから時が経ち、僕を育てた大人も別に完全な”大人”ではないことを感じる。

だからわからなくなる。

 

子供だと思っていた あの頃に自分は

紛れもなく あの頃の僕の先頭で

真っ直ぐじゃないけど 今もそこに

踏み出してわかったんだ あの頃の自分は

悩んでいた 迷っていた 紆余曲折を超えて

僕に繋いでいた 

 同じ曲の一部

この詞が僕の中の一つの正解だと思う。

昔の自分から見たら今の自分はだいぶ”大人”だと思う。

今の僕には僕が大人だなんて口が裂けても言えないけど。

 

今の僕が僕という存在の最前線、つまり一番”大人”に近い状態。

人によって人生の長さ、道なりは違う。

どれだけ紆余曲折、曲がりくねってもいつまでも進んでいたい。

永遠に子供のままでいることになるが。

僕は”大人”にはなれない

”大人”がなんなのかわからないから。

 

子どもか大人か道半ば

 

僕は道半ばを選ぶ。

 

みんなはどうする?